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Masaki Nishihara
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その11 1993年

1月に群馬へ引っ越しをしました。
2月には、スノーボードの仕事で奥ハチスキー場に長期出張。
入籍も無事すませました。

この年のスタート車両は、懐かしいシルビアです。S13かな?
確かタイヤもモデルチェンジしたように覚えています。
前年末のテストで良い感触があったのですが、新しいタイヤにはミスマッチのようで、
凄く遅いというか話になりませんでした。
第1戦浅間台では35位、今でも言われます小林○佳選手より遅かったと。
石原社長には、ぼろかすに言われた記憶があります。

このころから時代は4輪駆動に入ります。
キャロッセ加勢社長に頼み込み、ランサーを投入する事になりました。
エボ1かな。ダンロップのお仕事で、全国を飛び回る生活は変わりありません、
この年はW-1というタイヤの営業活動です。
ジムカーナタイヤは、確かD78Jだったと思います。ウエットはD93Jかな?

僕らのA3クラスは、熟成されたMR-2茅野選手と森田さん、
新参4駆勢は僕も含めて増え始めた年です。
今思い出すと、とんでもなく乗りにくい4駆でした。
特にセンタービスカスに苦労した記憶があります。

ランサーデビュー2戦目の広島タマダで逆転優勝をしました。
茅野選手もダンロップサービスもびっくりの逆転劇でした。
「なんでお前が勝つねん」と言われた記憶があります。
この頃から少しずつひびが入っていたのかもしれません。



ランサーはもちろんラリーでも主力車種となり、加勢さんをはじめ、
キャロッセ全員で色々テストに明け暮れた年でした。
加勢社長のデフに対するこだわり・発想・トライする精神は
今振り返ってもすばらしいものでした。

北海道キロロでも優勝しました。新しい物にトライした1年なので本当に良く壊れました。
シリーズはランサー勢の中ではトップ、MR-2 の2台、茅野、森田さんが1位2位でした。

今当時のスケジュール帳を見ながら書いていますが、本当に忙しそうです。
真っ黒なスケジュール帳が今は・・・!!!!



94年はもちろんエボ2、毎年進化して行くランサー、おかげで毎年乗り換え。
練習車と本番車2台体制の始まりです。
写真が無い、探すのが本当に大変です。

To be continued.

その12 1994年


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